Vol.12 日本人として、被災者として (東日本大震災)

2011年3月22日作成


自分が思っている事を少し書きたいと思います。

今回の大震災のニュースはベトナムのホイアンにてTwitterを通して知りました。

現地のニュースで映像を見た時は鳥肌が立って、しばらく喋れませんでした。

僕は10歳の時に阪神大震災を被災しています。あの日の出来事は今でも詳細に覚えています。

忘れたくても忘れられない思い出。少しだけ書きます。




僕は地震が起こる1分前ぐらいに、近所の犬達の鳴き声で目が覚めました。

地震が起きている時は、自分の家だけウルトラマンか何かに揺らされているんだ、

と思ったぐらいグラングラン振り回され、タンスは倒れ、ガラスは割れ、

何より地震の地響き音が凄まじかったのを、今でも覚えています。


父親が僕に覆って守ってくれ、テレビが落下してきたのも、父親のお陰で直撃せずに済みました。

地震が静まり、母親と姉2人の安否を確認し、とりあえず家が崩れるかもしれないので、父親の指示で急いで外に出る事に。

階段は何箇所か抜け落ちていました。


木製の玄関を父親が力いっぱい引き開け、無事外に出ると、今まで見た事ないぐらいの真っ赤な空が、僕の近所を照らしていました。

自分が知ってる景色とは違う、それはもうこの世の果てのような景色。

近所のオバちゃんの泣き叫ぶ声。犬の鳴く声。今でも耳に残っています。


そんな中、避難所である小学校へ向かいました。今にも崩れそうなビルの下を歩きながら。


学校へ行く途中、日本語を喋れない中国人の女性が、ずっと僕達家族の5歩後ろぐらいを付いてきていました。

僕達も自分達の事で精一杯で、あんまり構えずに、そのまま学校へ向かいました。

この女性がその後どうなったか知りません。

そして、この話題は今でも僕の家族の中で出てきます。

彼女は異国の地で、とてもとても不安だったろう、なんで気にかけてやれなかったのかと。

特に今、自分が海外にいるので強くそう感じます。


学校は学校で、人糞の臭いと共に、喧嘩や人混みで混沌としていました。

僕達は家の近くの幼稚園に避難する事にし、友達にも会え、やっと落ち着く事ができました。

足の裏を見ると、家から出る時に踏んだガラスの破片で血が出ていました。

親が家に大事な通帳を取りに行き、姉は友達に会いに行き、僕は独りで待つ事に。


この後の不思議な体験は今でもはっきり覚えています。

意識が無くなり、一面真っ白に。

そこでフッと魂を抜かれるような感覚に。

その瞬間、母親が僕の腕をぐっと掴み、意識が戻りました。

何だったのかは、今でも分かりません。


その後、再び家族が集まり近くの親戚の家に行く事になりました。




ザッと書きましたが、もっとたくさんの嫌な記憶や、その後の被災者としての体験がたくさん自分の中に残っています。

今回の大震災で、たくさんの方が亡くなり、たくさんの人が被災者として今も生活し、

たくさんの子供達や外国人の方が不安で怯えていると思います。

今回の大地震と津波なんて、僕とは比にならない、被災した人じゃないと分からない恐怖。


そんな日本が大変な中、僕はといえば自分の夢を成し遂げる為に世界一周の旅に出ています。

海外から、そして同じ被災者として何をすべきなのか。


海外の方からメッセージを集い、被災者の方へ送る。など、色んな事が頭に過ぎりますが、

結局僕が思い付く事なんて自慰行為のような気がして、今の僕には何もすることができません。


今求められる物は、プロの救助行為。物質。心休まる人の愛情。

今は一刻も早く、行方不明になっている方が一人でも多く無事救出され、

物資が多くの被災者の方に届き、支援される事を祈るのみです。



僕は阪神大震災の時に、自衛隊の方や、プロ、そして愛のあるボランティア団体の方を見た時、とても安心しました。


僕の旅を被災された方でたった1人でも見て元気になってくれたら、僕は嬉しいです。


それともう一つ、被災地にいる外国人の方で困っていそうな方がいたら、怖がらずに声をかけてあげてほしいと思う。

もし僕が今またここカンボジアのプノンペンで被災したら、不安でたまらないと思うから。


今はこんな感じで考えてます。

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